石見銀山の歴史や鉱山と暮らしの学習施設。ガイダンスコーナー、遺跡立体模型や遺跡クイズ等様々なプログラムでより深く石見銀山を体感できます。
直轄領の銀山を治めた江戸幕府の代官所跡。石見銀山の採掘工具や古文書、鉱石、絵巻などを展示しており、当時の石見銀山の様子を学ぶことができます。
代官所跡から南西 50m にあり、町の通りに面して立つ大森銀山地区最大の商家建築。銀山経営のほか、酒造なども営んでいました。
旧河島家は1800年代初めに建築された住宅で、平成2年に復元されました。唯一公開されている武家屋敷の遺宅で、中には隠し部屋もあるといいます。
石見銀山の石工技術をよく表しており、石造物文化を代表する貴重な信仰遺跡です。
明治23年に開設された旧大森区の裁判所。国指定文化財(史跡)
現在唯一公開されている間歩で、通り抜けができます。
江戸時代から明治時代にかけて大規模に開発された坑道です。
同銀山を支配下に収めた徳川家康によって、初代の奉行に任命された大久保長安が、槍を持って馬に乗ったまま入ったという伝承から大久保という間歩名になったそうです。
拝殿の鏡天井にある極彩色の「鳴き龍」は迫力満点。
【島根県指定有形文化財(建造物)】
境内裏山の東照宮は元禄の頃に再建されたものです。市、県の指定文化財や隠れキリシタン地蔵などが拝観できます。
「左官の神様」と尊敬された松浦栄吉が還暦を迎えた大正時代中頃の鏝絵「鳳凰」がある。西性寺の経蔵には、ほかの三面の壁にも大輪の牡丹や菊が彫刻されています。
岩盤を刻んだ石段を登っていくと、朱色の門の両側に仁王様がカッと目を見開き、傍らには十六羅漢が静かに立ち並んでいます。大森代官所の祈願寺で真言宗の寺院。幕末には儒学者佐和華谷が住持。
井戸平左衛門がこの寺でさつま芋のことを旅の僧侶から聞いたといわれる曹洞宗の寺院。慶長年間(1596年)の創建で、文化4年(1807年)に再建されたと言われています。
寛永8年創立、初めは天台宗であったが、現在は真宗に改宗されています。門前には「山吹城城門西本寺」と書かれています。山吹城とは要害山山頂にあった城のことです。
逆修塚は、生前に自分の法名を付けて建てた墓のことで、功徳(くどく)が大きいといわれています
発掘調査によって初めて発見された17世紀初頭(江戸時代初め)の銀精錬遺跡。
山すそに傾斜を利用して造られた明治時代の先端技術による精錬所の遺跡。
大久保石見守に仕え代官として石見銀山はもとより伊豆、佐渡金銀山の開発にあたり功績を上げた吉岡隼人の墓
毛利時代には石見国大森銀山の代官を務め、後に佐渡金銀山の開発に中心的な役割を果たした宗岡弥右衛門の墓。
石見銀山の最盛期である江戸時代の初め、慶弔15年(1610)に本妙院施上人により創建されたと伝えられている日蓮宗の寺院。代官阿久津修理義守墓所【県指定文化財(史跡)】もあります。
大森の町並みの南、銀山地区の東にそびえる標高537mの山。
備中出身の安原伝兵衛が夢のお告げで発見したと言われる間歩。慶長年間に発見、採掘され、石見銀の産銀量を飛躍的に増やした。平成15年度の発掘調査では岩盤を加工したテラス(平坦地)や坑道、またテラスをつなぐ階段などが発見された。
標高414mの要害山山頂にあった城で、戦国群雄による石見銀山争奪戦の表舞台となりました。